2018年のムラにもトークで登場予定の松岡絵里さん。世界一周夫婦の妻であり、編集者&ライターとして活動する彼女が、自身の旅の軌跡とNU VILLAGEとの繋がりを寄稿してくれました。NU VILLAGEの多様な楽しみ方の一面をぜひ感じてみてください。
1990年代後半、私は旅と遊びに明け暮れた
前回のNUVマガジンで1976年に生まれて良かったと書いたが、ほかにも良かったと思う理由がいくつかある。そのひとつが、若かりし頃に旅に出てあちこちをウロウロし、結果的にそれが今の生業になっていることだ。
猿岩石がテレビの企画でヒッチハイクをしたのが1996年、私が大学生だったときのこと。それに刺激を受けたのもあり、大学生のときの私は普段は遊ぶこととバイトに勤しみ、そして長期の休みになれば、主にアジアに旅行に出かけて行く学生だった。周囲にもそんな学生は少なくなく、ひとたび旅に出れば各地でバックパッカーと出会えた。いまよりも日本円は強く、学生のバイトでも特にアジアなど物価の安い国では、そこそこ長い期間滞在できたというのもあるだろう。
沢木耕太郎の「深夜特急」が発売されたのは1986年だが、それからだいぶたって、1996年にそれがテレビドラマ化されていた。そういう時代だった、のかもしれない。当時大学生だった私は、ちょうど1996年にドラマの舞台のひとつであるインドのバラナシに降り立ったが、会うインド人ほとんどが、俺は主演の大沢たかおと友達で、俺もドラマに出ていると言い張っていたのが可笑しかった。もっとも、同じ大学の同級生だった夫は、大学時代には海外旅行に行ったことがなかったので、私が20歳そこそこで旅に夢中になったのは、必ずしも時代のせいだけではないのだろうけれど。
世界一周の新婚旅行へ!
東京での夜遊び、そして野外パーティに明け暮れていた2002年、私と夫は勢いで結婚し、そして勢いで世界一周の新婚旅行に出発した。それまで海外旅行をしたことがなかった夫とともに初めて飛行機に乗り、「これを参考に書いてね」と記入済みの入国書類を渡すと、私の書類と同様に、「SEX(性別)」の欄の「F(女性)」に大きく丸がついていて、愕然とした。うっかり大きなお荷物を背負って旅立ってしまったのではないか……冷や水をかけられたような思いがしたが、人間成長するもの、3カ月も立てば夫も立派な旅人になり、そして私たちは1年8カ月をかけて、世界45カ国をめぐった。
ちなみにブログすらなかった当時、その様子をホームページにまとめていたが、ぼちぼちの反響があった。南米に滞在中、グランプリをとって南極に行こう! と鼻息も荒くホームページコンテストに応募したところ、あっさりグランプリを逃し、特別賞を受賞。賞金10万円は帰国後の生活費としてあっという間に消えていった……。
帰国後も旅熱は冷めやらず、私はフリーライターをしながら旅行関係の記事を書き、そして夫はサラリーマンをしながら旅の本を出したりしていた。そのうちに夫は独立して旅行作家になり、私は旅行関係の雑誌の編集部の一員となり……と立場は変われど、旅にまつわる情報発信というのは、2002年に世界一周旅行時にホームページを始めたときから、一貫している。そう書くと筋が通った感じがするが、バカのひとつ覚え、という言葉もあることをふと思いだす。
いきなり初心者へ逆戻り、そしてプチ移住へ
旅する夫婦だった私たちに変化が訪れたのは、2015年、39歳のときに子供が生れたことだ。初めての子育ては、それまで「たいていのことは経験したかも」なんて偉そうに思っていた自分に頭から冷や水がかけられるような日々だった。我が子は可愛い、可愛いがゆえに、どうするのがベストなのかわからない……。そんな逡巡する日々は、突然「初心者」に突き戻される日々でもあった。
そんな日々の中だからこそ、沖縄に「プチ移住」することにした。そもそも子連れでの旅はやれオムツだ授乳ケープだと荷物が多くなるし、短期の旅行はバタバタとしがちだ。そしてどうせあれこれ逡巡する日々なら、せっかくなら温かくてストレスのない地で過ごしたい……育休中という身分も、思い切って3カ月東京を離れるのにはちょうど良かった。
結果、生後3カ月の娘を連れて3カ月家族で沖縄に滞在したのは、素晴らしい人生のギフトだった。夫はその経験を単行本「沖縄プチ移住のススメ 暮らしてみた3カ月」(知恵の森文庫)にまとめ、私も妻の立場から少しだけ書かせてもらった。
NU VILLAGEと沖縄に通じるもの
沖縄から戻ってNU VILLAGEで1歳に満たない我が子を抱えて踊っていたとき、そういえば前にこうやって赤ちゃんを抱えて踊ったのは、プチ移住していた沖縄の宮古島のライブハウスだったなあと思い出していた。そのときは出産後ほぼ初めての夜遊びだというのもあり、赤ちゃんは音にびっくりしないか、ぐずったらどうしようかと、緊張しながら出かけた記憶がある。
夫とともにおそるおそるライブハウスのドアを開けて、エントランスの人に「2名です」と答えると、そのおじさんは宮古島の方言丸出しで、「その抱っこしてる子はなんよ!ちゃんと人数に入れておきましょうね」とニカっと笑った。ちなみに沖縄で「●●しましょうね」というのは東京でいうニュアンスとは違い、「●●しておきますよ」という報告の意味合いが強い。私たちは慌てて「そうでした、この子も入れて3名……」と訂正し、案内された席に行くとスタッフの人がサッと子供用のお皿やらスプーンやらを用意してくれた。ライブハウスに子供用スプーンがあるのが衝撃だった。子連れでライブハウスに行くなんて……という目もある東京の生活に比べると、沖縄での日々は気安かったと思う。
NU VILLAGEにもそんな沖縄と通じる気配がある。何しろ子供が多くて、遊び場が多い。子連れで踊っていても、何もとがめられないどころか、一緒に踊ってくれる人たちがいる。
変わったことと、変わらないこと
前回のNU VILLAGEでは、ばったりと世界一周中にインドのゴアで出会った友人夫婦に再会できた。お互い帰国して日本で最後に会ったときには赤ちゃんだった男の子が、もうお父さんの身長に近づくほどの立派な少年になっていた。しかも私は娘を抱っこしていて、そしてその友人のお腹の中には、4人目の子がいた。お互い家族が増えたねえと笑い会った。
その友人夫婦はインドのゴアで、キッチン付きのアパートを借りていて、クリスマスに私たちを招待してくれた。テーブルに並んだご馳走の中には、市場で買ったという魚を丸一匹料理したものも。当時、結婚はしていたものの料理なんて数えるほどしかしてなかった私は、同世代なのに彼らのことがとてもまぶしく感じられた。そして彼らと別れて以後、少しずつ旅の中で料理をするようになり、それがいまの「暮らすように旅する」というプチ移住というスタイルに繋がっている。
そんな旅の先輩に、今年もNU VILLAGEで再会できるのではないかと、密かに期待している。そして今年のNU VILLAGEで、私たちが旅について、そしてプチ移住について語る場を設けてもらえたのも、なんだか不思議な縁だなあ、とも。
あのとき友人のお腹にいた子は、もうきっと走っているだろう。わが家も昨年6月に次女が生まれ、また家族のメンバーが増えた。
NUVのオーガナイザーである奈良龍馬くんがやっていたパーティOVA、その2001年の和田峠には行ったことは強烈に覚えているが、実は誰と行ったか思い出せない。現地に友人がいたような気がするが、移動は一人だったかもしれない。当時は仕事が猛烈に忙しくスケジュールのやりくりが大変だったし、また一人が気楽だったのもあり、そんなことがよくあった。
それが2018年のいま、家族は4人に増え、おいそれと単独行動ができなくなった。娘二人の荷物も増え、準備も大変になった。
けれども変わらないのは、今も昔もスタイルは違えど刺激的な遊び場があること。そしてやっぱりスタイルは違えど、まだあちこち旅したいなと思えること。
やっぱり1976年に生まれて良かったと、いい時代の日本に生れて良かったと、私は今日も思っている。
(文=松岡絵里)
松岡絵里(まつおかえり)プロフィール
ライター/編集者。1976年京都府生まれ。小学生時代をアジアで過ごし、大学時代はアジア旅に熱中。音楽誌編集者を経て、夫・吉田友和とともに世界一周の新婚旅行へ。607日間かけて45カ国をめぐる。そのときの様子を収めた「世界一周デートアジア・アフリカ編/魅惑のヨーロッパ・北中南米編」(幻冬舎文庫)や、世界各地の市場を紹介した「世界の市場」(国書刊行会刊)などの著書がある。
ライター/編集者の松岡絵里さんは、夫であり旅仲間でもある旅行作家の吉田友和さんとともに、NU VILLAGE 2018でトークを行う予定。これまでの旅のエピソードや、子連れ旅におすすめの「プチ移住」について語ります。
世界一周はもちろん、沖縄、京都にプチ移住した経験で得たものとは。旅していて良かったと思う瞬間、子連れ旅のなるほどテクニック、そしてトホホな話も飛び出すかも……!?
吉田友和(よしだともかず)プロフィール
1976年千葉県生まれ。初海外=世界一周をきっかけに旅に目覚める。その後、週末海外を繰り返していたら、いつの間にか旅行作家に。『サンデートラベラー!』『自分を探さない旅』『10日もあれば世界一周』『思い立ったが絶景』『東京発半日旅』など旅の著書多数。『ハノイ発夜行バス、南下してホーチミン』はTVドラマ化もされた。一家での体験をまとめた『沖縄プチ移住のススメ』のほか、近年は「子連れ旅」をテーマにした連載なども行っている。