新人類のために〜ディジュリドゥ奏者・画家、GOMAさんインタビュー

NU VILLAGE2017の2日目である8/26日(土)の昼、ディジュリドゥのワークショップで参加してくれるGOMAさん。

ご存知の方も多いと思いますが、ディジュリドゥ奏者として活躍していたさなかに突然の交通事故で活動を休止。高次脳機能障害と診断されたが、懸命のリハビリを経て2011年に音楽活動を再開し、事故後(それまではまったくやっていなかったスタイルで)はじめた点描の素晴らしい絵画、書籍、映画などで新しい活躍をされています。

ご自身のこと、そして子どもたちのことを中心にお話を伺いました。

 


——お生まれは関西ですね。

 

GOMAさん(以下敬称略):大阪の泉南というところで生まれました。和歌山に近いところ、海の近くで育ちました。子どもの時はずっと海で遊んでいました。海しか遊ぶ場所がなかった(笑)。20歳でディジュリドゥという楽器に出会って、それからオーストラリアに修行に行って、ロンドンに引越しして、2001年くらいに日本に戻ってきて、東京に住み始めました。

 

——小さい時に遊んでいた時のことって、今のGOMAさんにどんな影響がありますか?

 

GOMA:40代になってきて、生まれ育った環境が好きになってきた感じがありますね。たまに実家に戻ると「いいな」って。海の音を聞くと安らぐし、匂いをかぐと落ち着く。刷り込まれているというか、小さい時の体感というのが残っているんだろうなと。

事故をして脳の神経が切れて、いろいろなことを忘れちゃっても、いまだに小学校や中学校のことってよく覚えていて、残っているんです。それくらい人間という生きものにとっては、小さい時に体験したことが人格を形成する上で軸になるんだろうなと思います。子どものときの遊びや出会ったこと、出会った人は、やっぱり大きな影響を及ぼすんじゃないですかね。僕くらいの年齢になると、知らず知らずのうちに影響受けていたなあとあらためて感じます。

 

——多様な人やモノに触れさせてあげたいなあ、と考えているオトナは周りでも多い気がします。お子さんと接するにあたって意識していることってありますか?

 

GOMA:ウソをつかないことかなあ。子どもには素直になんでも話をしてほしい、自分の思いを話すことをこわがらないで欲しいなと。なるべく思っていることを引き出すように、聞いてあげる、言える環境をつくるように意識している気がします。

 

——ウソつかないでちゃんと心から話しができる、ということとも関係しますが、GOMAさん事故以降のインタビューなどでも、「表現をする」という話をよくされています。コドモたちが自分の中からなにかを出していくこと、そしてリアクションをもらうということはもっとふつうになったらいいなと思うんですが。

 

GOMA:その人のキャラクターによると思います。ぼくはもうそれしかできないからアートをしていますが、アートとか音楽というものを、いまは特別なものとして認識してないです。それが好きならやればいいし、料理が好きなら料理を、文字を書くのが好きなら書くことを、それぞれ好きなことをやればいい。それぞれに道があると思う。それに親が気付いてあげたらもっといい。その子がほんとうに好きなものに出会えるような環境づくりは、オトナはしてあげたらいいですよね。

 

——たしかに。”ほんとうに好きなもの”にどうしたら出会えるか。運とか縁とかもあると思うんですが、GOMAさんは20歳くらいでディジュリドゥという楽器に出会って、事故に遭い、その後絵という表現にも出会って、いまも広く活発に活動していらっしゃる。前に進む力や意志が、ほんとうにすごいなと思います。GOMAさんのような、どんなときにでも前に向かう力があれば、それさえ身についていたら、どんな世界になってもなんとでもなるんじゃないか。そういう意志のようなものをコドモたちが身につけられたらいいなと思うんです。

 

GOMA:そう思えるようになるには、自分一人ではムリで。やっぱり家族だったり周りの友だちの支えがあったりして、そういう中で少しずつ思うようになるんじゃないかな。まず自分が頑張らなくちゃいけないというのは大前提としてあって、そのうえで周りの支えに気が付くと、前を向くようになるような気がします。自分のためだけにがんばるというのは難しい。

 

——そうですね。GOMAさんの場合は事故と、その後の回復のプロセスもありました。

 

GOMA:事故のすぐ後は、記憶をうまく保てなくて本当に苦しかった。でも今思うと全部覚えていたら、つらすぎて生きていけなかっただろうなと。それが回復とともに、ちょっとずつ脳の神経がつながってきて動けるようになってきた。そうしたら、一日を後悔しないように生きようと思うし、もったいない時間の使い方はしたくないってなったしね。人と接するときもムダな時間にしたくないから、なるべく礼節も意識するようになるし、より頑張れるようになった。ほんとうに何がいつ来るかわからない。それがわかっただけでもよかった。

 

——昨年書籍を出された時のインタビューで仰っていた、”新人類”という考えが印象的でした。

「事故にせよ病気にせよ、かつてなら死んでいたかもしれない人たちが、医療の進歩によって助かるようになりましたよね? 僕だってその一人で、僕のように、助かっても障害は残るかもしれない。そういう「死んでいたかもしれない人たち」を「新人類」と呼んでいます。医療が進歩する以上、これからもそういう人たちはどんどん増えると思う。」

https://www.cinra.net/interview/201608-goma?page=2

うちにも20年前だったら死んじゃってたかもなあという子どもがいるんですが、障害のある人たちや現行の社会からはみ出してしまっている人たち、そして子どもたちすべて含めて、新人類として見るというのは新鮮でした。GOMAさんも事故の前と後では大きく変わったと仰っていますね。

 

GOMA:新人類、増えてきていると思います。認知症の人たちもすごい数ですし、脳の問題はこれからますます出てくる。高次脳機能障害は40万人とも50万人とも言われている。医療のおかげで、これまでだったら生存不可能だった人たちが、生きていける、増えていくような世の中になってくる。今までつくられてきた社会システムでは対応できなくなってきている。

でもそういう人たちでも、どこかで社会に役立っているという感覚を持てる、なにかしら社会の中での役割をみつけられると、生きることに対してポジティブになれる。そういう社会のシステムができたらいいなと。

そのためには、社会復帰が難しいと言われている高次脳機能障害という状態で、ぼくがまず、“みんなと同じような生活は難しいけどこういう生き方をしたら社会の中で役割ができてきたぞ”という先例にならないと、と思ってやってます。同じ状況にある人たちが、夢を見ることができるかもしれないじゃないですか。もしかしたらこの先に社会とつながって生きていける、そういう希望を持てるかもしれない。なにかしら障害のある人でも、社会の中でなにか役割をもって生きていける、そういう感覚をどこかで得られたら、社会も少しづつ変わると思う。

 

ーーーありがとうございます。NUVILLAGEでの子供たちとのワークショップ、楽しみにしています!


 【GOMA(ごま)プロフィール】

オーストラリア先住民族アボリジニーの伝統楽器ディジュリドゥの奏者・画家。98年アボリジニーの聖地アーネムランドにて開催された「バルンガディジュリドゥコンペティション」にて準優勝。ノンアボリジニープレイヤーとして初受賞という快挙を果たす。帰国後全国の野外フェスティバルや海外にも活動の幅を拡げ勢いに乗っていた09年交通事故に遭い「外傷性脳損傷による高次脳機能障害」と診断され活動を休止。事故後間もなく描き始めた点描画が評判となり、全国各地で展覧会を開催。11年には再起不能と言われた音楽活動も苦難を乗り越え再開した。GOMAの復帰を描いた映画「フラッシュバックメモリーズ3D」が第25回東京国際映画祭にて観客賞を受賞。現在は音楽、絵画、講演会と多岐に渡り活動中。

WEBサイト:http://gomaweb.net/